「向上寺三重塔」についてもう少し書いてみたくなりました。
こんにちは、アンクルハットです。
2月に瀬戸田理科クラブが発行した小冊子「国宝のある島 生口島・高根島 向上寺山 季節の花地図」(写真①)は、お陰様で好評をいただいておりますが、紙面が限られていましたので、テーマの一つとした「向上寺三重塔」についてもう少し書いてみたくなりました。そう思うくらいに価値あるお宝だということを学んだからです。
特に勉強になったのは、広島大学名誉教授の三浦正幸先生が「週刊朝日百科 日本の宝029」(写真②)に書かれた向上寺三重塔の解説記事でした。写真は向上寺三重塔の一層の組物で、中央に若葉の彫刻が見えます。三浦先生は記事の中でこの若葉の彫刻を「空前絶後の特異なもので、通常の発想力では思いつかない独創性が感じられる。」と評しています。また、「塔という保守的な傾向が強い建築であるにもかかわらず、そのような斬新な意匠を全国に先駆けて室町時代中期に試みてしまった点に、向上寺三重塔の価値があり、」とも述べられています。
そんな大昔からそんなことが出来た島ってすごくないですか?三浦先生が編集委員会の文化財専門部会長として編纂された「新尾道市史 文化財編 上巻」(写真③)では、その理由を「大陸との交易路に立地することに加え、文化の中心地であった都から離れていたからこそ、斬新な意匠を事もなく導入することができた」と解説され、「瀬戸内海沿岸地域の豊かさと、大工の技術力と創造力が存分に発揮された塔婆である。」と評価されています。また、前述の記事は「日本一の意匠をもつ塔として評価できる」と結ばれています。
向上寺三重塔が建設された頃のことをもっと知りたいと思って瀬戸田図書館で借りてきた「瀬戸田町史 通史編」によれば当時、向上寺の前身の向上庵は修行僧百余人を収容出来る施設で、向上寺山の山麓には24もの宿坊があったそうです。すごいですね。
さらに瀬戸田ってすごいと感じさせるのが、この瀬戸田町史。全5巻で14年余りの年月を掛けて制作したとのこと。手元の第5巻はずっしりと重く、細かい字で約900ページもあります。こんな大層な本5冊にもなる町史を作っている町って他にありますかね?
まだ瀬戸田に移住して来て3年ちょっとですけど、瀬戸田を大変に誇りに思うアンクルハットでした。ではまた。
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